【第141回酒蔵文化道場】アートと文化の未来 -あみじまプロジェクト- <レポート有>




第141回
酒蔵文化道場
≪題目≫
アートと文化の未来 -あみじまプロジェクト-
≪語り手≫
株式会社あみ壱 代表取締役
藤田 義人 氏
≪内容≫
明治時代に活躍した実業家藤田傳三郎は、美術品愛好家でもありました。この時代に文化財の多くが海外へ流出したり、国内で粗雑に扱われることに危機感を覚え、国の宝の散逸を防ぐ為に自ら蒐集し保存にも力を注ぎました。
先人の想いを引き継ぎ藤田美術館として開館60余年。建物の老朽化も含め様々な課題に向き合い、2022年4月にリニューアルオープンしました。
次代へ何を想い、何をつないでいくのかをお話しします。
藤田美術館についてはこちらをご覧ください。
公益財団 藤田美術館
≪開催について≫
◆2025年3月28日(金) 16:00〜
講演レポート
作成:鷲尾圭司氏
≪経歴≫
大阪生まれ、神戸育ち。明治時代に活躍した藤田傳三郎の数えて五代目にあたる。
藤田観光株式会社に入社していたが、藤田美術館の建て替えリニューアルを機に退職して株式会社あみ壱を設立し代表取締役に就任。
美術館の価値を生かし、社会に開かれた役割を模索するため美術館の側面支援を担う取り組みを始めている。
≪講演レポート≫
明治時代に活躍した藤田傳三郎(1841-1912)は山口県の萩出身で、高杉晋作のご近所だったとか。明治維新や西南戦争の戦いには加わらなかったものの、明治初頭(30歳の頃)に大阪へ出て、軍靴製造、軍需品や人夫を調達する用達業、トンネルや橋梁、疎水工事に係る土木建築などの事業を興した。明治17年、小坂鉱山(秋田県)の払い下げを受けて本格化した鉱山業を中核として、他にも児島湾(岡山県)の干拓事業に関わるほか、紡績・鉄道・電気・新聞など、近代化する日本の基盤となった事業に大きく貢献し、大阪商法会議所(今の大阪商工会議所)の第二代会頭を務めるなど、大阪財界に大きな功績を残してきた。
そのような藤田傳三郎は、明治政府の廃仏毀釈によって失われつつあった日本の古美術に関心を寄せ、仏教美術や茶道具などを多数収集してきた。文献による記録などはなくなっているが、美術商の持ち込む古美術品を言い値で買い付け、蔵に収蔵していったという。
藤田財閥の拠点は都島区の網島にあり、天神祭りの行われる大川の畔で、かつては良い軟水が得られることから茶の湯が楽しまれ、そうした立地も茶道への傾倒につながったといわれる。邸宅には能舞台や沢山の茶室を構え、これに興じていたと伝えられている。大阪大空襲では屋敷や多くの施設が失われたが、幸い蔵は焼け残り多くの収蔵品が残った。
藤田傳三郎の美術品への想いは子孫らが志を受け継ぎ、「これらの国の宝は一個人の私有物として秘蔵するべきではない。広く世に公開し、同好の友とよろこびを分かち、また、その道の研究者のための資料として活用してほしい」と、1954年に藤田美術館を開館させたわけです。
アートと文化の未来を志す「あみじまプロジェクト」というのは、藤田美術館が六十余年を経て改修の機会を迎えたとき、これまで近隣でもあまり知られておらず閉ざされた感のあった美術展示館から、「あらゆる人とふれあい、つながる」というコンセプトをもち、ただの建て替えではない新しい姿を目指した。
現在、兄は美術館の理事長、弟は館長という配置にあって、次男の私は藤田観光株式会社を退職し、あらたに株式会社あみ壱という会社を始めました。美術館の業務範囲を超えて社会とのつながりに働きかける役割を担うものです。
美術館には国宝や重要文化財を含む2000点に及ぶ東洋古美術品があり、とくに茶道具や仏教美術が収められ、愛好家には楽しまれているが、広く知られて身近に感じてもらえるようにするにはひと工夫が必要と考えた。
新たな建築には美術館ならではの環境設計が必要で、美術品に悪影響を及ぼす有害物は徹底して排除しなければならない。例えば、床面を三和土(たたき)の土間に仕立てるのにも規制があって石畳にせざるを得ないかと思われたが、施工業者や職人の工夫で解決することが出来た。そうした工夫の結果、白壁と土間に広がる空間とガラス張りの外観など、開放的な建築物に整えられた。
2022年のオープンに先立ち、「土間」と名付けられたエントランスにおいて人々の集い憩える場として「茶屋」を整えることとし、あみじま茶屋で「お茶と団子」を提供しはじめた。美術館でキッチンを備える例はないようで、さまざまな用途で、多くの人の集える企画の起点になるものと期待している。
実験的な試みとしては、能楽師や落語家などによる解説や餅つきなど体験型イベントも次々と提供し、人々の実生活から離れた時間を味わってもらうことを始めた。また、美術館の運営ソフトとしても、受付カウンターをなくしてスタッフがタブレットを持ちまわり、来客への対応を進めることや、展示物の解説キャプションを取りやめ、スマホを利用して情報提供することなどがある。
また、定休日問題として多くの美術館が月曜日に休むことへ苦情がある。そこで休まない美術館運営を図ることとし、展示を3テーマで回し、4つ目の区画で次回の準備を進めるという方法をとり、スタッフも交代制で無休を可能にした。
裏話としては、これらの創意工夫をはかるにはかなりの予算が必要になる。そこでプライベート美術館の自由さを活用して、収蔵品の内から30点を選んでオークション(クリスティーズ)にかけた。幸い、折からの中国マネーの沸騰期にあたったことから予想以上の資金を得ることが出来て、こうしたリニューアルオープンが進められることになった。
網島に足を運んでいただき、日本文化の伝統と新しいアートのマリアージュを楽しんでいただきたいと思います。
