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【第144回酒蔵文化道場】餃子の歴史 -古来中国の餃子から現代日本の餃子-<レポート有>

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≪酒蔵文化道場とは?≫

第144回
酒蔵文化道場

≪題目≫
餃子の歴史 -古来中国の餃子から現代日本の餃子-

≪語り手≫
元祖ぎょうざ苑 三代目店主 (株)Dumplin代表取締役
頃末 灯留 氏

≪内容≫
日本の国民食「餃子」の歴史をお話します。
そのルーツはメソポタミア文明からはじまります。
餃子の発明者は中国の漢方医学の医聖?
唐の時代には副葬品に?
江戸時代に日本で餃子は将軍に献上された?
献上したのは明の儒学者?
満州で餃子に革命的な変化が!満州式餃子とは?
焼き餃子は日本人のアイデアで誕生?
味噌ダレ誕生の秘話など、戦後日本の闇市から日本独自の
餃子が誕生するに至るまでの過程を分かりやすくお話します。
講義を聞き終えた後には、皆さん餃子博士になれます!

元祖ぎょうざ苑についてはこちらをご覧ください。
元祖ぎょうざ苑

≪開催について≫
◆2025年10月24日(金) 16:00〜

講演レポート
作成:鷲尾圭司氏

≪経歴≫
1967年神戸市生まれ。1994年から父(二代目)の跡を継ぎ店主となる。神戸中華街の南京町で味噌だれ餃子の専門店として、自ら店頭で餃子の皮の整形から作り方の実演を続け、メディアへの登場のほか、数多くの受賞歴を残している。今後は「百年続く餃子屋」「餃子専門店としてミシュランをとる」を目指している。

≪講演レポート≫
 餃子といえば、今や食卓にもお馴染みの一品となり、一杯飲みのお供であり、子供たちにも人気の食材です。メディアにも様々な「餃子論」が氾濫していますが、そんな中、味噌だれ餃子発祥の店「ぎょうざ苑」に伝えられてきた満州から始まった餃子についてお話ししたいと思います。
 まず、今日の日本で広まっている餃子と中国における餃子では大きな違いがあります。何より中国では「水餃子」という湯がくか蒸したもので、日本のような焼餃子は本来ありません。また、具材にニンニクは入れられませんし、たれにラー油も用いられません。そして、結婚式の料理として子宝を祈る文字通り「食して交わって子をなす」という祝いの食材であり、お金に見立てられることもあり、時には高貴な方への献上品として位置づけられていました。
 一方、日本では大正時代に水餃子が伝わったものの、戦中戦後に広まってきた日本の焼餃子は大衆食として、実は日本支配下の満州国で生まれました。
 元祖ぎょうざ苑の創業者である祖父は戦前の満州にわたり、現地の人々と交流を重ね、終戦後に引き上げてきた苦労人でした。満州で覚えた料理の一つが焼餃子の原点に当たる「鍋貼ル(コーテル)」です。ぎょうざの王将などで「コーテルイーガー(ぎょうざ一丁)」と掛け声が聞こえましたが、鉄鍋に水餃子の残り物を貼り付けて焼く料理です。
 戦中の満州では、支配者層は手間のかかる高級料理である「水餃子」を食べますが、貧しい人たちには高嶺の花でした。しかし、残り物が出るとそのままでは食べられないので鍋に貼って焼くという工夫がなされたわけです。そして日本人の口には、水餃子を楽しむ文化がなかったため、この焼餃子に抵抗がなかったのです。逆に水餃子には代用食「すいとん」を連想させたのでしょう。
 戦後の日本の闇市では、くず肉やくず野菜が売られており、腹をすかせた人々は餃子にニンニクやラー油を加えて臭いを消したのでした。また、ニンニクは強壮剤の効用があるため、港町の風俗界に流行していきました。
 中国では手間をかけた献上品として親しまれた水餃子は、満州から日本へと伝わる中で人々の食欲と元気付けの大衆食の焼餃子に変貌していったわけです。
 では、餃子の歴史に戻りたいと思います。餃子の皮は小麦で作られており、小麦食の発祥をたどると5000年前のメソポタミアに至ります。その遺跡から餃子らしきものが発掘されています。それが中国に伝わり、紀元前700~200年代の春秋戦国時代(漫画キングダムの時代)の遺跡からも発掘され、2世紀後半の後漢時代に医聖と呼ばれ「薬食同源」を教えた張仲景には水餃子を想起させる逸話がありました。さらに唐の時代(618-907年)には高貴な人の墓の副葬品として餃子の化石が見つかっており、高級な献上品だったことがしのばれます。そして明代には餃子の文字が文献に現れるようになりました。
 日本へは、江戸時代の水戸光圀公に献上された記録があります。中国で明が清に滅ぼされようとしたとき、明の儒学者である朱舜水が亡命して来しました。当時の世界事情を知りたい徳川幕府は彼を重用したことで、水戸光圀公に餃子が献上され、黄門様が日本で初めて餃子を食べた人物とされています。
 さて、焼餃子に付けるたれについて、醤油と酢にラー油を足すという定番や、酢コショウというこだわり派などありますが、神戸の味噌だれは注目できると思います。中国での付けダレは黒酢や赤酢が用いられますが、独特の香りがあって日本人の口には合いにくい面がありました。創業者も黒酢が苦手で、日本の味である味噌で食べることを好みました。そこで日本に帰り、新開地で開業する際には味噌だれを工夫したのです。この味噌だれの配合は一子相伝の味として、三代目の私まで秘中の秘として私だけが引き継いでいます。そのこだわりは、新開地から新たな同業者たちに餃子づくりを分け隔てなく教えていましたが、時に裏切られることもあって、味噌だれだけは秘することにしたのです。
 そのほか、お店と家庭の味との異なる部分は、用いる油がピーナッツ油ということでしょうか。
 とはいえ、餃子は本来献上品にするような食べる人を思いやる料理です。今日の大衆食のレベルでは申し訳ないと、当店では神戸ビーフを餡に用いたお客様への献上する心を示すメニューも加えています。用いる肉のベストな配合は神戸ビーフ9.1%と豚肉90.9%ですが、神戸ビーフ100%のものも評判になっています。ぜひ食べに来て味わってみてください。