8月のうまいもん/淡路島の鱧

鱧の骨切り技術があったからこそ、その身が堪能できる!
インターネットで〝鱧″というワードを検索すると、「鱧は高級魚ですか?」との質問が出て来ます。そこには「高級料亭などで食べられる高級魚として知られています」と回答されていますが、当然ながら浜値が高く、鯛やフグ、クエなどと並んで高級魚に類します。特に関西人は夏の鱧と冬のフグといわれるぐらい嗜好的にも好んでおり、「鱧を食べないと夏が到来しない」なんて話す食通もいるくらいです。
鱧はフグと同じく淡泊な味の魚で、その点でも関西人好みなのでしょうが、ただその処理が誠に厄介。海底に深く潜って暮らしているために筋肉や背骨が強く、細かい骨が身の中に無数に走っています。身を食べるには、骨切り技術が必要で、無数の小骨を断ち切るように骨切りせねば、思うように味わう事ができません。上手な料理人は、一寸(30.3cm)の間に24回包丁を入れて皮と身のすれすれの所で包丁を止めて切ります。これが俗にいう〝鱧の骨切り″で、専用の骨切り包丁で処理しないと上手くカットできないのだとも言われています。この鱧の骨切り技術を習得した和食の調理師が圧倒的に関西では多く、東国の比ではないくらい。首都圏で鱧をあまり使用しないのは、そんな事情も隠されているようです。
鱧の骨切りは京都で生み出され、関西一円に広まりました。関西では「鱧の骨切りができて一人前」と言われ、やっと日本料理の職人としての地位を得るそう。某料理人が以前に鱧の骨格標本を作ったのですが、そこにはなんと3421本もの骨があったらしいのです。我々は、この多くの骨を全く感じずに鱧の身を食すのですから料理人の調理技術には敬服せざるをえません。
ところで鱧の骨切り技術はいつ生まれたのでしょうか。明確な文献はわからないものの、寛政7年(1795)に出版された「海鰻(はむ)百珍」には、骨切なる言葉が使われ、それを施した料理が7種出て来ているといいますから、すでにその時代には鱧の骨切りが世に出ていた事がわかります。様々な豆腐料理が載った「豆腐百珍」は、江戸時代の天明2年(1782)に出版され、ベストセラーになった料理本。以降、大根、鯛、卵など色んな素材にテーマごとに綴った、いわゆる百珍ものが続々と出るわけですが、「海鰻(はむ)百珍」もそのシリーズ。百種以上あった鱧料理をまとめたものです。ただこの出版文化は江戸中心なので今以上に骨切り技術が東国で浸透していないでしょうから、そのうち89種はすり身料理主体なのも理解できます。
鱧はその昔「はむ」と呼ばれ、食む(はむ)に由来して命名されたそう。江戸期に「海鰻」と書いているのは中国語の海鰻(ハイマン)から来ているのかもしれません。食していた歴史はかなり古く、平安初期には瀬戸内産の鱧が京へ運ばれて使われていたようなのです。当然ながら当時はすり身にして料理に用いられていました。一説には細川家の家臣が骨切り技術を確立したとも伝えられており、それが本当なら細川幽斎・忠興親子の時代ですから安土桃山期から江戸初期にかけてすでにそれが生まれていた事を意味します。寛永20年(1643)に伝聞された料理法をまとめた「料理物語」が出刊されますが、そこにも鱧料理が出て来てはいます。「なます、かまぼこ、こいり、ごんぎり」と記されており、ここでは骨切りされたものが載っていなかったので、まだまだそれが広まっていなかったのかもしれません。現在、NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」にも登場する狂歌師・大田南畝(蜀山人)は文化14年(1817)刊の「千紅万紫」の中で大坂赴任中に体験した鱧の骨切りについて「たち帰りまた食ふべしておもひきや鱧の骨切難波江の浪」と詠んでおり、やはりこの時代でも京坂では骨切りを施した鱧を食べていた事がわかります。
何はともあれ、現代人の私達が鱧を美味しく味わえるのは、骨切りを生み出し、様々な調理を行なって来た先人からの教えの成せる技。彼ら先人に敬服しながら今夏も鱧の味を堪能したいものです。さて「さかばやし」では、例年の如く鱧を8月のテーマ食材に選定し、会席料理の一部や逸品料理に使用します。また、要予約にて「鱧のしゃぶしゃぶ」もご用意いたします。鱧の名産地・淡路島由良漁港より新鮮な鱧が届きますので、ぜひこの時季に「さかばやし」の鱧料理をお楽しみください。
(文/フードジャーナリスト・曽我和弘)
2025年8月
料理長おすすめの「淡路島の鱧の一品」
〈淡路島産〉
■鱧湯引き 1,000円
■鱧の黄身煮と湯葉の炊き合わせ 1,200円
■鱧と野菜の天ぷら 2,500円
■鱧しゃぶ小鍋 2,000円
追加 雑炊セット 800円
※おすすめの一品は前日15時までのご予約にて承ります。
※価格は税込価格です。
※写真はイメージです。
