神戸酒心館

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日経BP NETに「蔵直採り生酒」が紹介されました

神戸酒心館

日経BP NET グルメ 「あの街、この酒」のコーナーに「蔵直採り生酒」が紹介されました。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/life/joy/anomachi/
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■■■日経BP NET グルメ
■■  あの街、この酒  御影郷の蔵直採り生酒
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■酒の香りが漂う町
阪神電鉄・石屋川駅を降りると、街の喧騒が嘘のように消えた住宅地が広がる。この駅前には珍しく商店がなく、石屋川公園と住宅が静かに迎えてくれるのだ。ここから5分ほど南西へ。国道43号線を渡ると、そこら一帯が御影郷と称される酒造りの町である。
俗に言う“灘”は酒造りの町として古くから栄えた。酒造業自体は元和年間(1615〜1624)に伊丹で起こったと言われている。それが灘の地に広がり、天明5年(1785)には江戸に荷揚げされる酒の40%以上が灘で造られたものになっていたそうだ。
“灘”とは現在の神戸市灘区を指すものではない。東から今津郷、西宮郷、魚崎郷、御影郷、西郷の5つがあり、これを総じて灘五郷と呼んでいる。この五郷で、なぜ酒造りが盛んになったのかは地理的要因が大きい。まず、六甲から吹き降ろす寒風が寒造りに好適していたこと。そしてこの地に湧く宮水を用いることで旨い酒ができた。また、山田錦が穫れることと、丹波杜氏の労働力が得られることなども要因として挙げられる。その上、水上輸送に便利な港を持っていたため、大消費地である江戸まで船で運べたことも灘をメジャーにしたのであろう。現に明暦から享保(1655〜1736)にかけては灘の勃興期にあたり、現在残っている酒蔵の多くがこの時期に創業している。昔ほどの勢いはなくなったとはいえ、今日でも生産規模は全国で30%近くのシェアを占めているようだ。
個人的な話で恐縮だが、私はこの灘五郷のある地区で生まれ、育った。小さい頃に遊びまわったのは蔵の周辺。酒蔵メーカーが出荷用にと置いてあった木箱を何重にも組み、隠れ家のようなものを作って遊んでいた。そんな地で育ったからか、ことさら日本酒の香りには思い入れがある。だから和食をという時はついつい純米酒を欲してしまうのだろう。
旨いものを求めるにはやはり生産場所との距離が近い方がいい。だから酒蔵で酒が飲めるのがなおいいに決まっている。しかし、灘五郷にはあれだけ酒蔵メーカーがあるものの、蔵で食事をしながら飲ませてくれる所が少ないのだ。
酒造りのにおいにふれながら飲める場所があればいいなと私はかねがね思い続けていた。この私が求める桃源郷ができたのが平成9年。「福寿」というブランドで知られる神戸酒心館がそんなイメージにぴったりな店をオープンさせたのである。
御影郷にある神戸酒心館というメーカーは、かつて福寿という名で営んでいた。震災後に神戸酒心館という社名に変えたのだが、昔からいい酒を造っている蔵として定評があった。御影郷には白鶴、菊正宗といった全国ブランドがあるが、それらに比べると小粒である。しかし、地元では「山椒は小粒でもピリリと辛い」の表現ではないが、まじめな酒蔵として親しまれているのである。
■濃醇辛口の男酒
神戸酒心館を訪ねると、迎えてくれたのは安福幸雄社長と安福嘉孝本部長。彼らに「ここでしか飲めない、とっておきはありますか」と聞くと、「蔵直採り生酒(くらじかどりなまざけ)」を出してくれた。神戸酒心館の門をくぐると、正面が酒造りを行う福寿蔵、左手が蔵を再現した食事処「さかばやし」、そして右手にはギャラリーやショップがある東明蔵といった構造になっている。「蔵直採り生酒」はこの東明蔵で販売されている純米酒だ。
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販売と言ってもそのシステムが面白い。「昔は豆腐でも買いに行くように、酒も瓶を持って買いに行っていたんですよ。うちの蔵でも大正時代まではそうやっていたようです。この昔ながらの売り方を復活しようと思いました」とは安福社長。社長の言葉が表すように東明蔵では酒の計り売りを行っている。まず、通い瓶(4合、105円)を買い、そこに酒を入れてもらう。酒代は税込みで1470円也。以後はその都度、瓶を持って買いに来てもらうというシステムだ。酒匠である大谷さんが福寿蔵のタンクからできたての酒を斗瓶に入れて汲んでくる。それを客前で杓で掬い、通い瓶に詰めるというもの。「まさに昔の風情が漂うでしょ。それに環境問題にもいいですしね」安福社長は話す。
この無濾過の生酒を食事と一緒に味わえるのは同敷地内にある「さかばやし」である。この店は蔵を再現した和食の料理屋。1階はその造りの特徴から天井が高く、2階に上ると天井がこれまた低い。日本人はもとより、外国人にことさら人気があり、フランスのシラク大統領夫人も訪れたことがあるそうだ。
☐計り売りもする「蔵直採り生酒」
さて、目当ての「蔵直採り生酒」を注文し、コース料理とともに味わった。灘の酒は俗に男酒と呼ばれる。硬水の宮水を用いるためか、しっかりとした味がする。近年、地酒ブームにより新潟の軽い酒が好まれるようになったが、最近ではそれに飽きた人が、しっかりした味を求めるようになってきた。仕込みに硬水の宮水を使用し、健全な酵母と若めの掛麹(かけこうじ)を用いる。そして醪(もろみ)日数は比較的短めなのが灘の特徴。新酒の時は荒削りで押し味があり、腰のしっかりした酒質。それが夏の貯蔵熟成を経て、荒々しさがなくなりスッキリした味になる。これを秋晴れと呼んでいる。淡麗辛口に対し、「福寿」は濃醇辛口。当然、「蔵直採り生酒」はできたてなので荒々しさが感じられるが、やはり蔵で飲む酒はその雰囲気も肴となるので余計に美味である。
福寿がこの地に生まれたのは宝暦元年(1751)。よい麹を造ることこそ、よい酒の一番の課題と考え、今でも昔ながらの麹室にて箱麹法を利用した手造りの麹造りにこだわっている。機械造りが多くなった灘にあって手造りを。“一麹二酛三造り”の基本を大事に、めんどうだが、かたくなに守ることでいい酒ができるのだとの言葉は、まさに造り手のこだわりが伝わってくる。
「福寿」の名は七福神の福禄寿に由来しているとか。飲む人に財運がもたらされるようにと名づけたらしい。「さかばやし」で手造り豆腐と旬の肴をアテに一杯二杯…。こう進めていくと、財運が来るような気がするのは酔った証拠だろうか…。
(日経BP NET あの街、この酒 2007年1月23日より引用)
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曽我 和弘
長年、出版畑を歩き、編集を主たる業務に(有)クリエイターズ・ファクトリーを設立。
特に食に造詣が深く、関西ではコメンテーターとしてメディアに出演することも。
飲食店のプロデュースや辻学園などでコーディネーターの講義も行っている。
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(酒造本部 安福嘉孝)